先日、父が食道ガンで他界し葬儀を行いました。
「大きくなるガンに対して、高齢の父は手術もできず有効な抗ガン剤もない。」
と、医者に言われてから亡くなるまでたった2ヶ月。
あっという間でした。
父を一日でも長く生きさせる、というより
自分たちの生活を守りながら、父に一日でも快適に過ごしてもらうには?を考えながら
妹と二人スピード勝負に挑んできたような気がしています。
完璧ではなかったと思いますが、
自分の記録と、同じような状況になる方の参考になればと思い、
この2ヵ月間の事をまとめます。
*介護認定に時間がかかった。(余命宣告してもらえばもっと早くできた)
*お墓だけじゃなくて、お位牌もどこにおいてほしいか聞いておけばよかった。
(私と一緒がいいのか?父の実家がいいのか?お墓と同じぐらいお位牌が大切)
父の病歴
大きな病気はなかった父が70歳ごろ小さい胃ガンがみつかりました。
内視鏡による手術で、胃内部にできたガン細胞を胃の表面を剝がすよう取るだけの、
簡単なものでした。
7年前 小さい胃ガン
5年前 食道ガン
3年前 肺ガン2回
1年前 食道ガン再発で抗ガン剤治療。
2ヶ月前 新たな食道ガンに有効な抗ガン剤が無く、治療終了
1週間前 亡くなる
それから約2年ごとにガンが見つかり
入院→手術→抗ガン剤をしながら経過観察をしていました。
食道は全摘しました。
肺も右にガンが見つかって摘出、その後左もガンが見つかり摘出してます。
思い返すといろんな所にガンができてて大変だったと思いますが、
会うと元気そうだし、あと10年ぐらいは生きると思ってました。
離婚後一人暮らしだった父
父は母と熟年離婚をして、ずっと一人暮らしでした。
54歳で一部上場企業を早期退職をして、一人で日本中をドライブするような生活をしていました。
住まいは鉄筋アパートの3階、私の家からは車で1時間半ぐらいの所でした。
70歳からガンを患っていましたが、病院も買い物も私の家も、どこへでも自分で運転して出かけてました。
電車に乗ってるところは見たことがありません。
抗がん剤の点滴、たまに肺炎などで入院する以外は、投薬治療をしながら、一人時間を満喫していました。
コロナ前は毎月車でうちに遊びにきて、娘たちとポケモンGOをしていました。
コロナでしばらく会えてないな~と思っていたら、
7月2日、急に病院から「家族を連れてきて」と呼び出されました。
父は一人暮らしで料理を作れなくなっていて体重が40キロまで落ちていました。
3階まで歩いて上るのがきつい、買い物しても荷物が上げられない、と言ってました。
ここまで放置してしまった、というより父も自分の危険な状況が理解できてなかったのだと思います。
夏だったので熱中症や脱水も怖く、一人で転倒して連絡できず孤独死もあり得ました。
毎日LINEで生存確認はしましたが、微熱も続くし、筋力は落ちて排泄がうまくコントロールできない状態で「便秘だ便秘だ」といつも言ってました。
そんな状況なので私達は病院に呼び出されましたが、
父も含めて「とはいえ、しばらくはなんとかなるだろう・・」考えていました。
24時間看護可能な終末期の住宅型施設
7月2日、妹と私が初めて病院へ付き添った際に、もう治療方法がない、と言われても
ふーん、本当に?
夢みたいな感覚でいました。
それを察した看護師さんが、体調の悪い父を一旦ベッドに寝かしてくれ、別室で話をしてくれました。
やさしく気を使った話し方で、医者じゃないので余命の話はできないけど、と前置きした上で
早く動いた方がいい。
最後を自宅で看取るのか?施設に入ってもらうのか?考えて。
どちらでも一人暮らしはこれ以上無理だから、今すぐ動いた方がいい
と教えてくれました。
これで私も妹も、
ヤバい状況かのかも・・・
と気持ちを少し切り替えました。
私も妹も仕事をしていますし、病院までは1時間以上かかります。
せっかく病院まできたその日を逃すと、またいつ来れるか分かりません。
その看護師さんの勧めもあり、その日病院の【患者支援センター】をすぐ予約してもらいました。
待ち時間は3時間でしたが、体調の悪い父はベッドで休ませてもらい
私たちは軽食を食べました。
病院の患者支援センター
父は頑固なので、私たちだけで決めて話を進める事は出来ない人です。
辛い話かもしれませんが、すべて一緒に立ち会ってもらうことにしました。
【患者支援センター】とは、名前は違うかもしれませんが、
恐らく総合病院なら同じようなサービス窓口があると思います。
退院した後、介護保険の相談、これからの生活について看護師さんや病院スタッフさんがアドバイスしてくれる窓口です。
そこでたくさん質問してアドバイスをもらいました。
これ以上“治療ができない”と言われたけど、これからの生活ってどうするの?
→ガンや難病になると通院ができなくなる。
末期のガンは治療ではなく、痛み止め、緩和ケアになる。
穏やかに(亡くなるように)自宅や施設で暮らせるように、訪問医師・看護師に来てもらう。
一人暮らしでは危ないのでどうしたらいいか?
→施設が決まる前も訪問看護師を手配して、様子や病状を見てもらう。
健康保険か介護保険どちらかを利用して訪問看護師を手配してもらう事ができました。
うちは介護保険申請をしていなかったので健康保険を利用しました。
末期ガンでも病院って入院できないの?
→病院は、本当に死にそうにならないと入院はできない。
それまでは自宅で痛み止めや痰の吸引などのケアをしながら生活する。
私は同居も考えましたが、家に誰もいない時間も長いので、父には24時間看護師さんがいてくれて、食事も3食も作ってくれるけど、自宅のように生活できる施設を紹介してもらいました。
私たちは斡旋業者ではないので、遠くは分かりません。
これまで患者さんが引っ越して評判がいい近くの施設を教えますね。
でも施設は空きがない事も多いです。
それまでの間だけでも訪問看護師を医療保険で手配しましょう。
お金を払えても施設に空きがないと入れない。
当たり前の話ですが、時間がない私達にはショックな情報でした。
これでまた1つ「早く動かなくてはならない」理由が生まれました。
ちなみに近くにあって評判がいい、と言われた施設2つは、
*ファミリーホスピス
ファミリー・ホスピス|訪問看護・訪問介護・ケアマネ・ホスピス住宅 (family-hospice.com)
*医心館
https://www.amvis.co.jp/hospices/
でした。
- 終末期用施設や緩和ケア施設の利用料は、おおよそ月20万円ぐらい。
(その他に食事代、医療費、介護保険サービス代、タオル代などかかる) - モルヒネのような痛み止めの麻薬を扱う管理をしっかりしているか?
家ではなく施設や病院では、鍵付きの戸棚などに保管する必要がある。
しっかり行っている施設かどうか? - 24時間いてくれるのは、本当に看護師さんか?
24時間看護師在中といいながら、夜間は看護師さんがいない施設もある。
胃ろうなどのケアもやります!と言って実際はできない施設もあるので注意。
紹介していただいた施設を見学しましたが、残念ながら満室。
同じ系列の施設で近いところを紹介してもらい、仮予約しました。
とりあえず1日でも早くそこに入れてもらい、希望するところに空きがでたら引越しを考えてました。
仮予約した施設に決めようとしたときに、
最初の満室だった施設に空きがでて急遽入れてもらえることになりました。
「ただし入居は来週でお願いします。」って、ひえ~!と思いましたが、
父は少しずつ具合が悪くなっていたので、結果的にはとても助かりました。
今考えると、施設の人たちは病院の医師からの情報で父の余命が分かっていて、
それなら入ってもすぐ退去するだろう、と入れてくれたのかもしれません。
施設に入ってから毎日3回食事をとるようになり、一時ですが父は元気になっていきました。
これで私も父も少し期待をしてしまいましたが、ガンは進行していきました。
介護保険認定
一人で歩けない、ご飯も作れない父でした介護認定は無しでした。
去年は要支援1だったようですが、更新もせず期限切れになっていました。
父が亡くなったのは、緩和ケアをしてくれるような食事つき住宅型介護施設です。
24時間看護師さん、介護士さんがいてくれる施設です。
父の希望で延命治療はせず、麻薬の痛み止め、点滴、酸素吸入、痰の吸引、をしてもらいながら少しずつ弱っていった感じです。
この施設は要介護認定がないと入れない施設でしたが、
介護認定が決まる前に入居もできましたし、施設でケアマネさんも探してくれました。
施設も要介護がとれる自信があったんだと思います。
(結果に納得できなければ再申請ができます)
申請してから1ヶ月以上かかった介護認定
最初に病院へ行った7月2日、自治体の「包括支援センター」の予約もしていました。
面談後、事情を話してなるべく早く介護認定をしてほしい旨を伝えてましたが、やっぱり時間がかかりました。
7月2日 包括支援センターで面談。介護保険認定が切れていることがわかる。
至急、審査→認定をしてほしいと伝える。
7月20日 やっと!認定員さんが父の家に来て聞き取りとチェック
8月5日 やっと!介護認定審査会(祝日があり1週間遅れる)
結果の速報などは教えてくれない。
8月7日 介護認定証が到着。
祝日もありましたが1ヶ月以上かかりました。
父が入った施設は、介護認定で要介護以上がないと入れない施設でしたが
施設の方も、私たちも要介護1以上がでるはず、
でなければ再認定してもらうつもりで先に入所をしていました。
施設とケアマネさんは要介護2がでると思い、ベッドなどの介護用具、介護サービス(入浴介助ほか)を組んでいました。
結果は要介護1でしたので、一部の介護用品(テーブル、ベッドなど)は実費でレンタルになりましたが、ケアマネさんが「介護保険の軽度者申請」をしてくださり、申請日以降は介護保険を使った金額で借りる事ができました。
何カ月入所しているか分からなかったので、少しでも費用を抑えてくださって助かりました。
介護保険申請で1つ後悔していることがあります。
大きな後悔ではありませんが、最初のお医者さんに余命宣告してもらえばよかったと思ってます。
「末期がんでもうこれ以上は何もできません」
と医者に言われたとき、
本人はショックで信じられず、なかなか準備する気持ちにならないと思います。
家族も同じように諦めきれない気持ちはあると思いますが、私は余命を聞いておけばよかったと後悔しています。
介護保険認定は、余命宣告を受けていれば、優先的に進めてもらうことができます。
父はハッキリと余命宣告は受けてませんでした。
そのため介護保険認定プロセスは他の人と同じスピードで、祝日も重なり結局6週間もかかってしまいました。
そして介護保険認定が出てから3週間で亡くなりました。
余命宣告を受けていれば、介護保険認定はもっとスムーズだったし、
引っ越しまでの時間も、もう少し寄り添ってあげられたと思っています。
お医者さんが訪問医師さんへ書いた、引継ぎ書類をチラっと見たときに
「予後1~3ヶ月と予想」と書いてありましたがあまり信じてませんでした。
でも結局、1ヶ月+1週間で亡くなりました。
終末期のガンは、家族の予想より早くなくなる場合もあります。
時間の勝負と思い、ドンドン行動していった方がいいと思います。
一番短い予後期間より長く生きられればラッキーなので、一番短い期間で亡くなると思ってとにかくすぐ行動した方が後悔が無いと思います。
葬儀屋さん
訪問医師からあと2週間はもたない、と言われてすぐ葬儀屋さんを探しました。
不謹慎かしら?父に失礼かも?と思いましたが、
見積して、見学して、どこにするか決めるのに3日ぐらいはかかると思います。
自分たちがどんな葬儀をするのか?
父はどんなのを望んでいるのか?
親戚は納得するのか?
亡くなった時にどうしたらいいのか?
先に考えておくべきことは多いです。
施設に聞いた会社、自分でネット探した会社、この2社に翌日連絡して見積をもらい、翌々日に見学をしました。
- 家族葬 (うち家族4人+妹)出席者5人
- 通夜を行わない一日葬
- 一番質素の白木祭壇、会社や親せきから届いた花を飾るだけ
どちらもお寺さんの手配もしていただけるし、悪くなかったので、担当者で決めました。
担当者の女性が私より少し年上な感じで、控えめなのにめちゃくちゃ頼りになる人でした。
予約が取れないと聞いていた葬場も彼女のアイデアで1時間ずらしたら、ガラガラでした。
父は実家(九州)に墓があり、そこに入ることを望んでいました。
そのため四十九日には九州のお坊さんにお経を唱えていただきお墓に納骨しないといけない。
その場合、お葬式の時に東京のお寺に手配していいの?ダメなの?戒名はどちらに頼むの?
こういう懸念事項をドンドン先回りして「親戚の方にお寺を聞いて、確認した方がいいです」と
教えてくれるような方でした。
コロナもありましたが家族葬にして本当によかったと思います。
久しぶりに会う親戚に見栄をはったり、時間を割かれたりせず、私家族と妹だけで顔を合わすときと同じようにのんびりマイペースに送ってあげる事ができました。
葬儀とは関係ないですが、後悔していることは父にお位牌をどこに置きたいか?を確認しませんでした。
墓の事ばかり考えてましたが、お位牌は御霊が宿っていて、とても大切なの物です。
私は自分の家に仏壇を置いてお位牌も置くつもりですが、父は自分の実家の仏壇に置いて欲しかったかもしれません。
さいごに
「父は最後2ヵ月間幸せだったのか?」
私には分かりません。
みんなが思っていたより病気の進行が早く、最後の1週間は「前の日できたのに今日はできないって事が増えていく・・」と嘆いていました。
私は自分が2ヶ月前に戻っても、他に手はなかったと思っています。
いつかは来る親との別れの時。
それぞれ事情もありますが、本人も家族も後悔はなるべく少なくしたいです。
育児と少し似てるかもしれませんが、
ベストだったか?というより、やらないよりはマシ、と考えて動いていれば後悔は少ないかもしれません。
育児を経験してなかったら、私は理想だけで「娘として父を家で看取る!」とか言い出して
途中で倒れていたかもしれません。
それを見たら父も罪悪感と最後の時間を過ごしたでしょう。
仕事や自分の生活もありますので、お金と人に頼って、少しでも後悔・負担なく、親御さんとの最後の時間を過ごせたらいいな、と思います。
HATSUKO
*終末期の住宅型医療施設に引越した
*介護保険の認定申請(それでもギリギリだった)
*葬儀、斎場選び(不謹慎と思わず見積、見学していて正解)